筆名と作品性についての考察。(長文)

*ものすごく長文なので、余裕のある方はどうぞ読んでください。
 もっと面白い雑談にしたかったのだけど、無理でした。すみません。*
 
「月原真幸は男性だ」疑惑(そんな大それたものではありません)があったようなので
筆名などについて、ちょっと書いてみようかなーと思った次第です。
(ちなみに私、月原真幸は女です、一応。一応?)
 
 
 
月原真幸(つきはら・まゆき)は筆名です。
本名でモノを書こうと思ったことは一度もありません。
筆名を使うのが当然だと何故か最初から思い込んでいました。
(散々悩んだあげくに、一度だけ短歌と本名を並べたことはありますけど
 基本的にはずっと筆名です)
 
筆名を使う理由はおおまかに2つあります。
ひとつは、私の本名とそっくりな名前の小説家の方がいらっしゃるから、です。
漢字4文字のうち、上3文字までが全く同じ。
(知ったとき、ものすごくびっくりしました)
そんな似た名前でモノカキなんかするのは失礼でしょう。
というわけで、筆名を使います。
(というのはものすごく後付けの言い訳です、実は)
 
もうひとつは、本名でモノを書くといろいろ問題がありそうだから、です。
親戚に「こんなこと書いて!」と怒鳴り込まれたくない……というのは
ちょっと冗談ですが(そんなこと書いてません、まだ。まだ?)
本名を背負って書くときと、本名から自由になって書くときでは
やっぱりなんというか、心構えとか意識とか違います。
(誰にも見せない日記は何でも書けるけど
 学校の作文は好き勝手に書けない、という感じだと思ってください)
 
あ、でもやっぱり、親とか知り合いに書いたものを知られたくない気持ちも
強いかもしれません……。
作品には普段ひた隠しにしている頭の中身が如実に表れてしまうので
「えー、こんなこと考えてるの!?」と驚かれたくない、かも。
 
ついでにもうひとつ書くと、自分の本名が好きではないからかもしれません。
名前として嫌なのではなくて、名前が背負っているものが嫌。
(端的に言うと、血縁関係とかそういうもの)
まぁ、本名は「発音しにくい」から、というのもありますけど(笑)。
(でも「つきはら」も意外と言いにくいかもしれないと最近気付く)
 
 
 
こういう理由で筆名を使うことにしたわけですが
では何故「月原真幸(つきはら・まゆき)」にしたのか。
月原さんという同級生がいて、すごくいい子だったから名字をもらいました。
すみません大嘘です。
綿矢りささんの筆名の由来を拝借しました)
 
答えは「なんとなく」です。……たぶん。
なにせもう随分前のことなので……。
「月原」は、好きな漢字をなんとなく組み合わせて決めたんじゃないかと思います。
問題は「真幸」のほうですね。
うーん……(記憶の地層発掘中)。
えーと、確か何かの少女漫画で(『っポイ!』かなぁ……)
「真幸」と書いて「まさき」と読む少年キャラが登場していて
「まさゆきじゃないんだ!」とちょっと感心した覚えがあります。
でも、「まゆき」ではなかった、はず(曖昧)。
 
 
筆名を決めるときに意識していたのは
「性別不詳っぽい名前にしよう」ということでした。
何故か。
 
作者の性別によって作品の評価が左右されるのは嫌だと思ったからです。
 
年齢がものを言うのは仕方がないと思います。
でも、性別によって評価が変わるのは嫌だと思ったんです。
作者が男だろうが女だろうが、いいものはいいし、良くないものは良くない。
だから、性別不詳っぽい名前にしたかった。
(プロフィールを詐称するつもりは全然ないので、見ればわかるんだけど。
 でも名前の印象って、性格まで想像してしまうから
 怖いと思うし、それだけ重要だと思う)
 
男とか女とか大人とか子どもとか、そういうこと関係なく
「人間」として生きていきたい。
などということを神経質に思いつめていた時期がありました。
(ちょっとややこしいことを背負っているので……)
性別不詳っぽい筆名にこだわったのは、その名残です。
 
 
 
私の筆名について語ってみました。
筆名が性別不詳っぽいのは、そういう理由です。
でも、筆名は作品とセットになっているものなので
筆名だけで私が男性だと判断されたわけではありませんよね。
ということは、つまり、
 
私が性別不詳な歌を詠んでいるということですね。
 
辰巳泰子さんに「中性的」だと言っていただきましたが(嬉しかったです)
つまりそういうことです。
 
曲がりなりにも(?)女を25年もやってきたわけですが、女らしくないと思います。
女らしくならなくてもいいと思ってきた節があります。
(男らしくなりたいと思うわけでもないですけど)
男とか女とか言う前に、「人間」としてちゃんとしないとダメだ。
という意識があります。
(全然ちゃんとしていないと思っている)
 
ある作品が作者と同性の支持を集める、というのは、全然悪くないと思います。
でも私が求めるのは、そういうものではないんです。
何度もしつこく言うけれど、男とか女とか関係ないところを目指したい。
だから、作者の性別は(乱暴な言い方をすると)どうでもいい。
作品で見てください、お願いします、と思います。本気で。
 
 
そう思っている、とは言うものの
実際に歌を詠んだりモノを書いたりするときに
この作品はちょっと女らしくないか、とか、男っぽいかも、とか
そういうことは全然まったく考えていません。
(そんなことを気にして書けるほど器用じゃないです)
ただひたすら、降ってきたネタと格闘しているだけです。
それで「中性的」と言われるのは
やっぱり筆名のせいではなくて、作品ごと性別不詳だということになるのでしょう。
 
それは、ものすごく嬉しいです。私にとって。
今までも散々迷ったりつまずいたり落ち込んだりしたけれど
これからもきっと動けなくなったりどうにもならなくなったりするだろうけれど
このまま突き進みますよ。
皆様どうもありがとうございます。
 
ということを言うために、こんなに長文になってしまいました。
ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
 
 
 
追記。
「ここまで性別不詳を主張するのなら
 いっそのことプロフィールを非公開にすればいいのではないか?」
と自分でも書きながら思ったので、そういう突っ込みが来ることを予想して。
 
プロフィールは簡単に書きますが、非公開にはしないつもりです。
どんなに隠そうとしたところで、作品からある程度わかることもありますし、
何者なのか全然わからないのは、(私の趣味として)気持ち悪いのです。
ほら、フルフェイスのヘルメットをかぶった人は、なんとなく怖そうな人に見えますよね。
そういうことです(そうなのか!?)。
 
だったら、性別不詳っぽい名前なんてただの悪あがきじゃないのか、
とも思ったりしましたが
でもやっぱり、「月原真幸」を名乗り続けます。
ほんの少しでも、この筆名に効力がありますようにと祈りながら。
というわけで、今度もどうぞよろしくお願いします。
 
 
 

余談1。
これを書くに当たって、私が目指すところのキャッチコピーを考えて
「性別を超える作品」はどうだろうとか思ったのですが
ドラマ版「エースをねらえ!」で主人公岡ひろみ
「あたしが目指すのは、性別を超えるテニス」と言っていたので、ボツ。
(原作を読んでいないのですが、原作でもそうなのでしょうか)
 
余談2。
読み返せば読み返すほど、枡野さんに喧嘩を売っているような主張ですね……。
そんなつもりはまったくないです。本当に。
こんなことをぐるぐる思いつめて筆名を決めたのは
枡野さんや短歌に出会うずっと前のことです。
 
余談3。
今現在はこう考えていますが
未来永劫ずっとこの考えのままだという気はありません。
いつどこでがらりと考えが変わるか(もしくは変わらないか)わかりませんので。
ただ、今はこういうつもりです、というのを残しておきたかったのです。
なんとなく。